他人へのイライラを解消する方法。

 

多くの方が問題に他人にイライラしてしまう時、

その問題を解決しようと考えます。

問題=(自分にはとっては)悪だと考えることが多いのではないでしょうか?

そして、

問題が起こると、まず、
方法を考えるのではないでしょうか?

つまり、解決法などを考える。

自分の考えは善という立場。

 

つまり、

善(自分)と悪(イライラする相手)の立場をとってしまうことが多いのかもしれません。

 

 

しかし、

良い方法は、まず、

その問題を解決しようとしないことが良いらしいのです。

 

 

 


善悪をなくして、問題だと思わなくなれば問題はなくなる。


 

問題解決をしても良いとは思いますが、

 

もっと良い方法は、

自分がその問題を問題だと感じなくなれば、問題は無くなってしまいます。

 

問題を問題だと思わなくなれば、
問題はずっと起きないわけです。

 

たまに、人は今のままではダメだいう価値観の人は、問題がなくなることを不安に感じる方もいらっしゃるようです。

のような方からすれば、問題がなくなれば今のままでいなくてはならないので問題を探し続けます。

 

 

話を戻しますが、

 

問題だと感じるということは、

何らかの状況があり、

その状況におかれていることがイヤな自分がいるわけですから、その状況におかれている限りはストレスになります。

 

原因は、
「この状況はイヤだ!」という、
自分ですから、
それをとるのがはやいですよね!

 

 


自分のルール。


 

例えば、

公共の静かにしないと行けない場所、
例えば、電車や図書館で、
大声で話す2人組がいたとします。

 

あなたはこの大声にとてもイライラしているとします。

あなたが持っている

「公共の場所では静かにしないといけない。」

という思い、

それを守らない2人は悪に見えます。

しかし、

こう思うのは、

「こうあるべきだ!」

という、ルールをあなたが持っているから。

 

でも、

そんなうるさい中、
隣で爆睡している人もいます。

涼しい顔して本を読んでいる人もいます。

ということは、

起こっている現実は同じでも、
気にしてない人には何も起こらないんです。

悪は存在していないのです。

 

 


自分のルールを持ち続けるかぎり問題は続く。


 

しかし、

気にしている側の多くの人が、
大声で話している側の人を変えようとします。

でも、他人を変えるのは難しいし、
運良く変わったとしても、

自分がそのルールを持ち続けるようであれば、また違う駅から大声で話をする人が出てきて、

「こうあるべきなのに!!」
とまたイライラ。

何人もの悪役と遭遇してしまいます。

電車に乗ってなくても、
お店などで出会ってしまったり。

つまりは、

場所を変えようが、
人を変えようが

自分のルールに目を向けない限りは、
何度も問題は繰り返されます。

 

 

そして、それがイヤな自分がいるわけですから、

他の人より「大声で話す、うるさい人」に出会う確率が高くなるはずです。

(自分が気になることなので、敏感に反応してしまいます)

 

 

ストレスがかかると当然、
そのストレスから逃れようとしますので、

「あいつさえ、いなければ!!」

と、余計にイライラします。

 

 

 


イヤの気持ちを止めようとせず感じてみる


 

イヤな気持ちが自分から出てきたら、それを止めようとしないで、ただ見てみましょう。

「何でイヤなのか?」

「どういう気持ちなのか?」

ジーっと観察します。

 

正しいとか、間違っているなど、
考えずにただジーっと観察する。

そうすると徐々にイヤな気持ちが消えていきます。

しかし、

ここで注意するポイントがあります。

「やっぱり間違っている!」

「あいつは、悪だ!
俺が善だ!!」

とか思って、ジーっと見ていると余計にイライラしてイヤな気持ちが大きくなります。

正しい、間違っているではなく、

ただジーっと見る。

 


本当にちゃんとしなければいけないのか?


ところで、

ほとんどの場合は、
イライラしている人、
悩んでいる人は、

「ちゃんとしなければいけない!」

と思っているのでは?

「ちゃんとしなければならない」という価値観を持つと、

少し極端なですが、

「ちゃんとしてないやつは悪だ!」

となるわけです。

だから、問題にぶつかるわけです。

 

 

しかし、
「ちゃんとしてたから」良いかと言うと、必ずしもそうではありません。

 

電車の中で大声で話していた2人組は、
ちゃんとしていなかったかもしれませんが、

その大声で話していた内容が面白くて、
誰かの沈んでいた心を明るくしているかもしれない。

2人組のうち、一人が屁をこいて、
音もなったしビックリするくらい臭いけど、大声で話すことで場をなごまそうとしている優しさかもしれない。

ちゃんとしていない人も、
実は善なのかもしれません。

 

だから、
ちゃんとしていたから良いとか、
ちゃんとしていなかったから悪いとかって、
あまり関係ないのかもしれません。

ただ、そういうことが起きているだけ。

 

 


我慢はしなくても良い!


 

だから、

嫌だったら注意しても良いし、
しなくても良い。

でも、

相手が聞き入れるかもしれないし、
聞き入れないかもしれません。

それも、
正しいか、悪いかも判断せず、
言いたいことをただ言って、
あとは相手にまかせる。

これが出来れば、かなり楽ですよね。

つまり、

悩みの原因は、

「相手を自分の思うようにコントロール
したい」

という欲求から来ているのです。

でも、

相手をコントロールせずにと言っても、
言いたいことがあれば言っても良いんです。

ポイントは
良い悪いを判断せず、
言いたいことを言うこと。

自分には「結果を決定する力はない」という感じで相手にまかせる。

 

例えば、、

腹が立つ相手に、

「バカ!」

と言われたら腹が立かもしれませんが、

こちらのことをコントロールしようとしていないロボットに

「バ…カ。」

と言われたらどうでしょう?

腹が立たなくないですか?

 

 


受け取っているのは、単なる情報です。


 

つまり、

僕らが受け取っているのは、
情報であって、
それ自体は何の力も持っていません。

でも、

自分が何を思っているのかで、
その情報が強力な力があるように見えてしまう。

なぜそう見えてしまうのか?

 

 


「記憶」が受け取り方に影響を与えている。


 

それは過去に、
自分自身でそういった価値観を受け入れた記憶があるから。

多くの人は、

「人に迷惑をかけてはならない」

そう言われ続けて育てられて来たのではないでしょうか?

そして、

の価値観を受け入れ、「迷惑をかけないようにする」という人生を歩み始めます。

 

自分が人に迷惑をかけた時は自分を責め、
相手が迷惑をかけてきた場合は、
相手を責めたり。

それが、イライラに繋がったりします。

 


それ自体を手放す!


これをなくすには、
「迷惑をかけるのは良くない」
という価値観を手放せばいいですよね!

この「迷惑をかけるのは良くない」考え方を持ち続ける以上は、

必ず、

迷惑を、

かける側と、かけられる側、

2つが必要になります。

でも、良く考えたら、
みんな両方やってきているはずです。

迷惑をかけて、かけられて、
成長して、
支え合っているんです。

だからと言って、
迷惑をかける側にまわる必要はありませんが、そう考えると一概に悪いものではないかもしれません。

迷惑をかけられる側の立場ばかりをとると、

迷惑をかけてきた人を責めるか、
迷惑をかけてしまった自分を責めるかという方向に片寄りがちです。

善の側ばかりの立つと、
悪の側を裁かずにはいられなくなります。

だから、

「自分がどこのポジションにいるのか?」

これを
観察するのはとても有効な手段となるはずです。

僕らはついつい、
問題があると外側の世界を何とか変えようと頑張ってしまいます。

その問題は、ほっておいて
内側を変えただけで気にならなくなるかもしれません。

観察して片寄ったポジションに今いるのであればバランスをとるために、真ん中のポジションをとりたいところです。

 


真ん中のポジションをとったら…


 

つまり、

「自分も迷惑をかけてることもあるな。」と、

自分は、
善もあるけど悪もあるのだと自覚することで、

「まぁ、いいか。」と許せるようになります。

 

迷惑をかけてきた相手責めずも、
迷惑をかけた自分責めないという、
「まぁ、いいか。」と思えるようになるようです。

それはかなり、楽ですよね!

そして、良いことはさらに続きます。

「迷惑をかけたらどうしよう。」

という思わなくなるので、

自分の好きなことがやりやすくなるのです。

善悪を併せ持つこと。

それは、

正しい、悪いと二極化せずに、
真ん中にいることかもしれません。

 

 

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