すべての物事、どんな場所、人間関係も、
絶対はありません。
自分で選べますが、
その選んだ場所がつらい場所だったということはよくあること。
でも、
別の場所を探しても良いし、
その場所にとどまっても良い。
この場所にいるか、いないかは自分で選べます。
本当にきついのは、その選択の余地がないとき。(本人がないと思っている時)
カウンセリングのクライアントさんの中には、
現状が明らかに理不尽でも、
それでも同じ場所に状況を変えず居続けようとして辛くなっている人も少なからずおられます。
「しかたない…」と思っておられるのです。
置かれた場所で咲きなさい。
という言葉がありますが、
この考え方は、置かれたら場所が絶対的なものだと言う考え方では?
でも、本当にそうでしょうか?
この置かれたところはたまたま置かれた場所に過ぎなかったら?
それがたまたま良い場所に置かれたら良いですが、
誰かに一方的に置かれた場所で、ただ咲けと言われてもしんどい。
例えば、
ナチスに迫害されたユダヤ人は、
その置かれたら場所で、
たとえどんなに理不尽でも厳しい立場に置かれようと、それを受け入れ、我慢して、自己実現に努力しなければならないのかと言う話になります。
では、なぜそんな考えになるのか?
そう考えると諦めがつくからではないでしょうか。
しかし、
すべての物事も、どんな場所も、人間関係も絶対はありません。
今の状況が気に入らないのであれば、
自分で気にいった場所と探すか、
また、
今の気に入らない居心地の悪い場所を居心地のが良くなるように工夫することもできます。
つまり、
しかたない…と思ってることも、
しかたなくないんです。
今いる場所で咲こうとするくらいの根性がなければダメだ!
そんな考えの人もいると思いますが、
今いる場所、人間関係、は絶対的なものではありません。
誰かの価値観を無条件に受け入れて、
そこで咲くように努力する。
それは嫌だったらやらなくても良いし、
やりたかったらやれば良いと思います。
置かれたら場所で咲かなくても良いし、
別の場所を探しても良い。
ただ工夫をすることで咲くこともある。
こう考えると選択肢が増えます。
人は選べるだけで楽になれるのです。
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